笑顔でさよならはサイコパス

最近は映画もあまり観ず本も読まず、ただ寝たり起きたりして音楽を聴いたりして過ごしていて、やはり音楽はいい、音楽には文学や映画にない自由さがあってこの感覚は伝わるだろうかわからないけれど、受動的であるけれどこちらにしばりがなくとてつもなく自由だ

 

この前newtonerecordsに行ってしばらく店内をごそごそと見回ったあと(おそらく1時間ほど)レコードを2枚買った

 

その頃から危うくはあったけれど、腰が痛く、次にはお腹が痛くなり救急車を自宅に呼び病院に連れて行ってもらい入院、腸炎と言われた

 

腰が痛いことには触れられなかったので結局腰痛はなんだったのだろうか

 

 

わたしは暗唱が苦手、そりゃあ苦手で、仏文科だったため暗唱がお好きで有名フランスの先生の授業は苦労した

それはともかく、暗唱が苦手だけれど、日常に流れるある一定のときをまるで映画のように頭に映し出すことができる

 

わたしはよくぼーっとしているけれど、ぼーっとしているときはだいたい頭の中でそれを流してひとりで観てたのしんでいるのでなにもしないというのがそんなに苦ではない

ベッドの上、バイトのお留守番中によくそれをやる

いつでも自分が好きな映画が観られるってこと!

 

 

映像として浮かんだものを脚本にするのってこんなにも大変なものかと、手探りで、脚本を書き始めて思った

 

でも脚本を書くのはたのしい、すごくわくわくする

 

 

 

それと彼氏ができた、告白はロマンチックではなかったけれど

好きと言われない告白なんてさ!

 

 

ツイッターにも書いたけれど、恋愛をこれだけ数こなしてると段々と恋愛が上手くなってきたと思う

いままで双極で悩まされていたし安定して薬を飲んでいるからというのもあるけれど、情緒が不安定になって、急に泣き出したりすることもなくなった

突然会いたくなって涙まみれになったり、突然憎しみが生まれたり、窓から物を投げたり、包丁を出すなんてことももうなくなった

もうなくなってしまったのだなと思った

そういうのは日常生活を送る上では不必要というか、邪魔なものでしかないのかもしれないけれど、わたしはただ感情に素直でいたいし、毎日同じ時間に起きて寝てみたいなそういう日常というものに一切あこがれがないので、薬を飲んだことによって昔のそういう自分がもういなくなってしまったのだと思うとやっぱりすこしかなしいな

 

いるひともいつかはいなくなる

 

そう思い知ったときから、諦めがつくようになり別れを告げられても男の脚にしがみ付いて泣くようなことももうない

笑顔でさよならできるようになったけれど、わたしは男の脚にしがみ付くような女だってことだれかに覚えていてほしいな

だってそういうものなんだから!

だって好きなひとをこれから失うというのに笑顔になる方がサイコパスだよ

脚にしがみ付くのが普通だよ、よく考えればね