愛こそ我らの軍旗/スパゲッティーをめがけて/記憶
おとといからすこし調子が戻ってきた
今日はバイト終わりにキャロリーヌ・ポギの『ジェシカ』をヌーヴォで観た
上映後に煙草吸ってると、横にいた柄シャツ着たロン毛の若いやつが、やるならもっとやりきってほしかったと女に言っていたけれど、わたしは好きだったよ
愛こそ我らの軍旗
とても若々しくて素敵な映画だった
未熟な、幼稚な、お遊びのように思うひともいるかもしれないけれど、それも狙いなんじゃないのかな
愛の映画だった
愛の描写はいつだってダサくて激しくて強烈で美しいもの
いい気分になって乗ってきたので梅田でもう一本観て帰ろうかと思ったけれど家に帰ってスパゲッティーを食べたいのでやめた
たぶん昨日、ツイッターで親に抱きしめられたことがあるかないかのアンケートを取ったらある人が64%、ない人が36%だった
意外とみんなあるものなのだなという印象だった
わたしが醜形恐怖がいまよりももっと酷かったころ、双極性障害と診断される前、一人暮らししていた家にお母さんが駆けつけてきた
大学に行くために身体をなんとか起こして、お母さんが用意してくれた朝ごはんを食べて、お化粧をして服を着て家を出ようという時、鏡でチェックしていると涙が止まらなくなり、こんな顔じゃ外に出れないと言った
そのときお母さんがおいでと言って抱きしめてくれた
そのときいままで抱きしめられたことがなかったに気付いた
そういう記憶がある
記憶があるのにお母さんが実際に私の身体を抱きしめてくれたのか、それはわからない
わからないし、覚えていないのでわからない
わからないけれどわたしはそのとき初めてお母さんに抱きしめられたと思ったし、思っているので、抱きしめられたのだと思う
過去は変えられないけど未来は変えられるとよくいう(だから過去は振り返らず前を見て生きようねというメッセージ?も込めてあるようなところもうっとなる)けれど、わたしは過去だって変えられると思ってる
昨日観たギイ・ジルの『切られたパンに』を観てそのことを思った